唐招提寺金堂の仏像

唐招提寺の金堂には9体の仏像が安置されていますが、目を引きますのは、本尊の盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)と、その両脇の千手観音立像(せんじゅかんのんりゅうぞう)、薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう)の3体です。仏像の大きさと金色の輝き、そしてそれぞれの像が示している厳かさと温かさが視線を引き付け、離させないのでしょう。

3体の仏像は、屋根の高い堂内にあって、天井に届くかと思うような大きさであり、台座の上の坐像と立像がほぼ同じ高さで並んでいます。まるでどれもが本尊かのような存在感です。

このような仏像の配置は、他の寺ではほとんど見かけません。なぜ、このようになったのか、いくつかの説があります。

日本の3戒壇説

これは鑑真和上研究の第一人者である安藤更生・早稲田大教授が述べられている考えで、金堂の3体の仏像は、奈良時代に戒壇(僧を正式に僧として認める授戒を行う場所)があった日本の3つの寺を表しているというものです。盧舎那仏坐像は奈良・東大寺の盧舎那仏坐像つまり「奈良の大仏」であり、千手観音立像は筑紫観世音寺を意味する観音であり、薬師如来立像は下野薬師寺の薬師如来であるとのことです。

私はこの説明を知って、なるほどなぁと感心し納得しました。しかしその後、この説では同じく戒壇のある唐招提寺はどのように説明するのだろうか、と疑問が湧いてきました。東大寺と唐招提寺は同じ奈良にありますから、日本の中心にある同じものとして位置づけ、東の下野薬師寺と西の筑紫観世音寺の2つの寺と手を携えて真の仏教を広めていこうという意志の表れと解釈すべきなのでしょうか。

または、当初は唐招提寺に戒壇はなかったという説もありますから、当時戒壇のあった3つの寺を3体の仏像で表し、それらの寺で行われる授戒と仏教布教の取り組みの精神的大本として存在を示しているのかもしれません。

四方仏の説

平安時代に空海が密教を広めますが、それ以前の奈良時代の仏教は密教との対比で顕教と言われています。顕教と密教それぞれに四方仏と言って東西南北の四方を表す仏様がいますが、顕教の四方仏は薬師(東方)、釈迦(南方)、阿弥陀(西方)、弥勒(北方)だそうです。

唐招提寺金堂には、向かって右側(東側)に薬師如来立像、中央に盧舎那仏坐像、左側(西方)に千手観音立像が配置されています。そのため、次のような意見があります。盧舎那仏はニアリーイコールと言っていいくらい釈迦如来と近い存在(盧舎那仏は真理そのもの、釈迦如来は真理を体現するもの)ですし、千手観音は阿弥陀如来の脇侍ですから阿弥陀如来の代役と考えれば、金堂の3体の仏像は薬師、釈迦、阿弥陀を表していることになるというものです。これに金堂の北に位置する講堂の弥勒如来(北方)を加えれば、東、南、西、北の四方がすべて揃うことになります。

三世仏の説

仏教では前世(ぜんせ)、現世(げんせ)、来世(らいせ)もしくは過去、現在、未来を三世(さんぜ)と言い、三世を表す仏様のことを三世仏と言っています。私が知る通説では、弥勒が未来、釈迦が現在、阿弥陀が過去です。

しかし、一説によれば、薬師は過去、釈迦は現在、阿弥陀は未来を表すそうです。この考え方は、東方浄土の薬師如来から薬すなわち仏様の教えをいただいて、現実生活を生きていき、西方浄土の阿弥陀如来のところへ到着するというところから来ているようです。唐招提寺金堂の3体の仏像は四方仏で述べましたように、薬師、盧舎那仏、千手観音であり、それらが薬師、釈迦、阿弥陀を表しているとの考えに立てば、過去、現在、未来の三世を意味していると言えます。

時空を超える

3体の仏像が日本の3戒壇を示し、東西南北の四方を表し、過去、現在、未来の三世を表現しているとしたら、それは仏教が時空を超えて広がるということを意味しているように思えます。もしくは仏教という素晴らしい教え、真理を、時空を超えて広げていきたいという意志を表しているように思われます。

唐招提寺創建当時の寺の名前である『唐律招提』の「招提」が、四方八方の八方に上下を加えた「十方」(じっぽう)の意味を持ち、日本の津津浦浦に真の仏教を広めていこうとの意志が込められていたことを考えれば、金堂の3体の仏像も同じ精神を示していると理解して良いのかもしれないと思うのです。