大それた行為

前回の最新情報「玄奘三蔵法師と鑑真和上」の記事を受けて、難しい話ですが仏教の根本的思想、哲学は何なのか考えてみたいです。もちろん、仏教についてほとんど何も知らない私にとって大それた行いであることは百も承知です。

しかし、お葬式へ行って、わけのわからないお経を聞いて、線香をあげて終わりの仏教ではあまりに悲しいです。一般庶民に役立つ仏教の教え、これからの生き方に良い影響を与える仏教の教えを知りたいのです。

以下に私が述べることは間違いや考え方の浅さが多々あると思いますので、詳しい方にご指摘やご指導をしていただければ有難いです。

仏教の根本的思想、哲学は何?

仏教の根本的思想、哲学は何なのでしょうか?

答は、仏教のエッセンスが説かれているという般若心経の「色即是空」の教えでしょうか。

平家物語で語られる「諸行無常」でしょうか。

それとも浄土宗などで言う「念仏を唱えれば救われる」という考えでしょうか。

色即是空?

凡人の私には、「色即是空」の「すべてのものには実体が無いことを認識したならば、ものごとに対する執着の念も消え、苦しみもなくなる」という教えがよく分かりません。現に物はそこにあるのです。時と共に変化して行くものでも、現在そこにあることは間違いないことで、「認識するからあるのだ」という説明も受け入れ難いです。

諸行無常?

「諸行無常」は「虚しい」とか一般に言われている「無常観」の意味で捉えるなら、あまりに元気の出ない考え方で、良い教えとは思われません。「ものごとはすべて常ならず、変化して行く」という意味で捉えれば、これは世の中で起きていることの真実に近いように思います。常ならず、変化していくことを知ったら、ものごとに執着しなくなり、人間は欲望の虜(とりこ)の状態から解放されて、魂が救われるとも聞きますが、欲は言いかえれば自然の摂理のように私には思え、それを否定するのはどうも納得がいかないです。 また、変化は「原因と縁と結果」が幾重にも重なって起こると言われても、救いを感じられません。お釈迦様のいた時代に印度で広く信じられていた輪廻の思想と関連させた考え方のように思われ、過去世や来世の存在をあまり信じられない私のような者には承服しかねます。

念仏を唱えれば救われる?

「念仏を唱えれば救われる」という考えは、一般大衆の気持ちをつかみ易いものかもしれませんが、この言葉はもともと阿弥陀様の願いである「念仏を唱えて救いを求めている人を救いたい」から出ているものであり、単に庶民が念仏を唱えれば救われるというものではないでしょう。

「救われたいと思ったら、良い行いをしなさいよ」ということを「念仏を唱えれば救われる」という言葉の後に説明するのかもしれませんが、この言葉から受ける印象はあまりにも安易で、前向きな良い生き方に導く教えとは思えません。

(次回の最新情報「仏教の最も大切な教えとは?(2)」に続く)