能度方丈との出会い

文峰寺は中国江蘇省の揚州市にある寺です。揚子江に繋がる運河のほとりにあって、かつてここから鑑真和上が日本へ渡航したそうです。その文峰寺の住職である能度方丈が、奈良県海外教育研修員として約4か月間奈良で研修を受けました。研修内容は基礎的な日本語会話のマスターと、奈良県における教育事情の理解および国際文化交流です。

私が能度方丈に会ったのは、岐阜で行われた日中友好セミナー「第5回 鑑真和上と栄叡(えいよ)大師を偲ぶ会・『日中の高僧と野崎康弘による健康説法』in岐阜」でです。講師としての能度方丈のことはこのホームページの9月20日の日付の記事で詳しく述べています。

セミナーの終わった後、私は野崎さんの厚意により、能度方丈を含む講師の皆さんたちと一緒に会食する機会を得ました。その時に、奈良で研修を長期間受けているなら、都合の良い時に奈良在住の私が奈良の寺社などへ案内しましょうと約束しました。

暴風雨の日の西ノ京めぐり

奈良へ帰ってから能度方丈の宿舎を訪ねて、なんとか筆談し、中秋の名月の日に、私は奈良県庁職員のAさんと一緒に能度方丈を西ノ京の薬師寺と唐招提寺に案内することを約束しました。しかし、当日になると台風襲来です。朝から雨風が強く、紀伊半島潮岬あたりに上陸するとの予報が出ていました。

唐招提寺の観月讃仏会が中止になれば、西ノ京めぐりも取り止めにしようと思ったのですが、唐招提寺は夜には雨が上がると判断したのか、観月讃仏会を予定通り実施するとのことです。観月讃仏会には岐阜から野崎さん一行がやって来ますので、皆さんに会いたい気持ちも強かったため、暴風雨の中、午後から西ノ京めぐりを予定通り始めました。

ずぶ濡れで薬師寺参拝

3人ずぶ濡れになって、薬師寺を参拝しました。台風のために伽藍の南側の扉はほとんど閉まっています。私たちはわずかに開けてある脇の方や北側から堂塔に入りました。Aさんは中国に留学していたため中国語が堪能で、能度方丈と私の話を通訳してくれましたので、非常に助かりました。

不思議なことに能度方丈は、一般の参拝客がしげしげと観る平山郁夫さんの『大唐西域壁画』にあまり時間をかけません。金堂の薬師三尊像などには丁寧に合掌参拝しますが、こちらも短時間です。その代わりに金堂内に置いてあった和風ベンチともいうべき床几に大変興味を示し、寺の人に許可をもらって床几をカメラで撮影していました。中国では仏教の堂内で立って参拝することが多いから、堂内に座ることができるものがあるのは良いことだと思ったのかもしれません。

小雨の中の観月讃仏会

夜になって唐招提寺の観月讃仏会が始まる頃には雨も小降りになって来ました。野崎さん一行と駐車場で合流し、唐招提寺金堂へ行きますと、人が非常に少ないので吃驚しました。進路が多少東に寄ったとはいえ、台風が紀伊半島に上陸している日に奈良へ月見に来るのは余程の人なのでしょう。おかげで静かにゆっくりと光り輝く廬舎那仏坐像、千手観音立像、薬師如来立像の三体の仏像を拝むことが出来ました。

唐招提寺開祖の鑑真和上は中国揚州の大明寺から日本へ来た人であり、文峰寺は大明寺の兄弟寺ともいうべき寺ですから、能度方丈は特別な客人です。そのため、唐招提寺の御影堂で行われた鑑真和上坐像への献茶に参加しました。私は庭から薄明りの御影堂を参拝しました。

能度方丈を宿舎まで車で送り、私が自宅に帰って来たとき、雲の切れ間から中秋の月が見えました。台風は遠くへ去って行ったようです。