宮大工の里「西里」(にしざと)

法隆寺は大まかに言えば、夢殿のある東院伽藍と、金堂や五重塔のある西院伽藍に分けられます。西院伽藍の端にある西大門から境内の外へ出ると、細い道の両側に土塀が美しい地域があります。土塀は古く味わいのあるものが多いですが、新しく作られた土塀も周囲に馴染んでいて、とても落ち着く街並みです。

この辺りは「西里」と呼ばれる地域で、宮大工さん達が住んでいたところです。法隆寺の五重塔の修理や、薬師寺の金堂の再建などを行い、最後の宮大工棟梁として有名な西岡常一棟梁もここの人です。

東西や南北に延びた路地を足の向くまま歩いていくと、そこここに立派な民家が建っています。屋根の斜面の中央が盛り上がった「起り屋根」(むくりやね)も見られます。家々の表札を何気なく見ていくと、姓が同じものや似たものが多いです。街並みの落ち着いた雰囲気から、ここが高度な技術を持った人たちの里であったことが伝わってきます。

藤ノ木古墳と斑鳩町文化財センター

西里の土塀の道を西へ突き抜けると、短く草が刈られたような小山があります。藤ノ木古墳です。古墳の入り口は扉が閉まっていて入ることはできませんが、暗い横穴式石室の中を覗き見ることができます。この古墳は未盗掘であったため、中から遺骨や多くの副葬品が発見されました。

発掘された時の状況を再現展示している施設が、藤ノ木古墳から南へすぐの所にある斑鳩文化財センターです。ここは通常無料で見学でき、レプリカですが展示物も素晴らしいです。家形石棺とその中にあった成人2体の遺骨、銅に金メッキをした金銅製の冠や履(靴)、そして石棺の外で発見された金銅製の馬具飾りなど、豪華な埋葬品に目を奪われました。

冠は数多くの鳥の飾りが付いたもので、朝鮮半島から非常に似たものが発掘されています。藤ノ木古墳から発掘された物は、日本が朝鮮との交流で入手した物なのでしょうか。また、2人の被葬者は誰なのか、なぜ法隆寺のこんな近くに立派な古墳が造られたのか、疑問と興味が湧いてきます。

なお、副葬品の現物は橿原市の橿原考古学研究所付属博物館にあるとのことでした。

斑鳩町第1浄水場からの眺め

藤ノ木古墳から北へ急坂を登って行くと斑鳩町第1浄水場があります。そこから振り返ってみたら、素晴らしい眺めが目に飛び込んできて驚きました。斑鳩から明日香の方が見渡せ、畝傍山や吉野の山々まで見えます。聖徳太子はこんな景色を古代に見ていたのかと感慨に耽りました。

その後に驚いた発見がありました。道路を挟んで浄水場の反対側には「第2慈母園」という碑が建っていたのです。慈母園とは以前このホームページでも紹介した壷坂寺の養護盲老人施設です。その福祉施設のノウハウを展開して、法隆寺の近くの高台に特別養護老人ホームとケアハウスを建設し運営していることを偶然知りました。