①寺巡りで知った「寺の福祉活動」

奈良などの寺巡りをしていると、いくつかの寺が福祉活動を行っていることに偶然出会います。

考えてみれば、寺と福祉とは昔から深い繋がりがありました。古代では貧困と病気が苦しみの大きいものであり、それからの救済を寺が果たそうとしたのだと思います。

②法華寺の浴室

寺と福祉と言いますと、聖武天皇の妃である光明皇后が、法華寺の蒸し風呂である浴室(からふろ)で民衆の背中を洗ったという伝承がよく語られます。

光明皇后は、貧しい人に施しをするための施設「悲田院」や医療施設の「施薬院」を設置して慈善事業を行ったと言われています。しかし、光明皇后以前にも寺では福祉の取り組みが行われていました。

③四天王寺の四箇院

例えば、飛鳥時代に聖徳太子が難波に建てた四天王寺には四箇院が設けられていました。四箇院とは敬田院、施薬院、療病院、悲田院の4つのことで、後の光明皇后の時代とは少しその内容が違っていたようです。

敬田院は寺院そのものであり、施薬院は薬局、療病院は病院、悲田院は病人や身寄りのない老人などのための社会福祉施設というべきものでした。

④行基菩薩の布施屋

奈良時代、東大寺の大仏建立に尽くした行基菩薩は、溜池を造ったり、橋を架けたりといった多くの社会事業を民衆の為に行っていますが、特に福祉への取り組みとしては布施屋(ふせや)の設置があります。布施屋は困窮者を救済して宿泊させるものです。

⑤西大寺の興正菩薩や忍性の慈善活動

鎌倉時代には西大寺の興正菩薩叡尊や忍性などが、寺を拠点に貧しい人やハンセン病患者、当時非人と呼ばれていた人たちの生活支援や救済活動に尽力しました。

奈良市川上町に現在ある史蹟「北山十八間戸」は、忍性がハンセン病などの重病者を救済した福祉施設の跡です。東西に長い長屋の南北両側に各9室の部屋を作り、そこに患者を住まわせたのでしょう。