①二上山が美しく見える相撲発祥伝承地

近鉄大阪線の下部駅で電車を降り、一寸距離があったのですが、歩いて相撲発祥伝承地の腰折田(こしおれだ)へ行きました。ここは奈良県香芝市が昨年(2017年)の10月に力士石像を建て、土俵を地面に描いて、相撲発祥の地として宣伝しているところです。

『日本書紀』によれば、當麻蹶速(たぎまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)が力くらべの天覧試合で闘い、蹶速が宿禰に腰の骨を折られて死亡し、蹶速の領地が宿禰に与えられました。その領地が腰折田と伝わっているとのことです。直接的な地名で驚いてしまいます。

腰折田の相撲発祥伝承地の広場から見る二上山がとても綺麗でした。真新しい白い力士石像と二上山の雄岳雌岳の山容がすっきりとした景色になっていました。

②花の寺「石光寺」

二上山東麓にある石光寺(せっこうじ)は花の寺で、特に冬に咲く牡丹が有名です。私が行った時、寒牡丹はほぼ終わりの時季でしたが、わずかに幾つかが咲いていました。冷たい風に吹かれながら、藁で作られた三角の囲いの中に咲いている寒牡丹は、葉がほとんどなく健気な感じがしました。

今の季節、見頃だったのはロウバイでした。黄色い花が頭上を覆うように咲いていました。

また、多くの文人が石光寺を訪れていて、歌碑が沢山建っています。特に印象に残ったのは与謝野晶子の歌碑でした。碑の表面は短歌が彫られ、裏面には石光寺の住職に宛てた年賀状の文章が刻まれていて、どんな状況でその歌が詠まれたかが分かる興味深いものでした。

③大津皇子の墓と言われる鳥谷口古墳

石光寺から坂道を登って行くと、大池の向こうの山肌に白っぽい石室のようなものが見えます。これが鳥谷口古墳です。昭和58年(1983年)に二上山の東に連なる低い山の中腹で土取り工事の最中に偶然古墳が発見され、鳥谷口古墳と名付けられました。

大津皇子の墓は二上山雄岳山頂にあるとされてきました。しかし、最近はこの鳥谷口古墳が、大津皇子の墓の可能性が高いと言われています。

大津皇子は天武天皇の第三皇子であり、天武天皇の后の鵜野讃良(うののさらら。後の持統天皇)によって謀反の疑い(謀略?)で殺され、二上山に埋葬されました。万葉集には大津皇子の姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)の悲しみ嘆く歌が載っています。また折口信夫著『死者の書』の冒頭は、墓の中から大津皇子が蘇るシーンだったと記憶します。

二上山は端正な二つの頂の姿と、飛鳥時代の死のイメージとが同居していて、この地を歩いていると複雑な気持ちになってきます。

④二上山麓のその他の名所

今回、昼食に予想以上の時間がかかってしまい、上記以外の名所はゆっくり観たり情報収集したりすることが出来ませんでした。

またの機会にしっかり訪ねたいなと思ったところは、當麻寺、當麻寺参道の街並み、葛城市の相撲館で、食べてみたいと思ったのは、土産として有名な中将餅でした。