①大神神社の神宮寺の「平等寺」

三輪山をご神体とする大神神社(おおみわじんじゃ)は奈良県桜井市にあって、別名、三輪明神と呼ばれる有名な神社です。

この大神神社の南側に「平等寺」という寺があるのですが、ここは、神仏習合の考えに基づき大神神社に付属して建てられた寺、いわゆる神宮寺です。

平等寺の開基は、聖徳太子(581年)という伝承と空海(平安初期)という説がありますが、581年は聖徳太子が7歳の時ですから、ちょっとこの伝承は納得性が低いと思います。

なお『日本書紀』によれば、日本最初の本格的寺院は、法興寺(飛鳥寺)が587年発願、四天王寺が593年の創建です。

ともあれ鎌倉時代から江戸時代には、平等寺は12もの堂や建物がある寺でした。

②廃仏毀釈で破壊される

明治新政府によって発せられた「神仏分離令」は、本来、神道と仏教を分離しようというものでした。

しかし、日本固有の文化と精神を重視する国学の影響や、江戸時代に幕府の統治機構の末端を担った寺への民衆の反発のために、神仏分離は結果として、寺院や仏像を壊したり僧侶を還俗させたりする廃仏毀釈運動となりました。

大神神社の神宮寺であった平等寺は激しい廃仏毀釈運動に見舞われました。仏像は他へ運ばれ、建物は破壊され、廃寺となりました。

③伽藍復興へ

しかし廃仏毀釈後、平等寺は地元民の支援で復興されていきます。

歴代の住職の努力や多くの人々の協力で境内地、仏像、木材などが確保されていったのです。

そして、神仏分離令が出されて100年目の年に平等寺の名前も復興されました。

伽藍復興が大きく進展したのは、現在の丸子孝法住職の取り組みの結果だと思います。

丸子孝法住職は自らの体で石を運び、図面を書き、伽藍を少しずつ整えていったそうです。

また、勧進托鉢行を行い、各種講演実施の謝礼(お布施)などで資金を貯め、本堂などを建てていきました。

今、平等寺境内には丸子孝法住職手作りの「赤門」が建っています。

見るからに素朴な門ですが、よく作ったなぁと感心します。本堂の設計図も、建築の専門家に教わりながら住職自ら書いたとのことですが、流石に建築は大工さんが行ないました。

再建された本堂内には本尊秘仏の十一面観世音菩薩があるのですが、参拝した日が秘仏公開日でなかったために拝観できませんでした。

しかし、桜井市の聖林寺の国宝・十一面観世音菩薩を模刻した像がお前立として安置されていて、素晴らしいものだと思いました。

④島津義弘公ゆかりの寺

私は今回訪問するまで全く知らなかったのですが、平等寺は、関ヶ原の戦いで敵陣を正面突破した薩摩の島津義弘公のゆかりの寺とのことです。

関ヶ原から脱出してきて、平等寺に一時かくまわれ、寺の支援を受けて堺から薩摩へ生還したそうです。

平等寺境内には奈良鹿児島県人会が制作した「島津義弘公ゆかりの寺」という幟(のぼり)が立っていました。