①興福寺の再建された中金堂

興福寺の中金堂(ちゅうこんどう)が301年ぶりに再建されて、10月7日から5日間、盛大に落慶法要が行われました。

その後、大勢の人々の参拝が一段落した頃を見計らって、私も拝観に行きました。

中金堂は寄棟造の大きくて壮麗な建物です。東西37m、南北23m、高さ21mとのことで、奈良にある木造建築物としては東大寺大仏殿、平城京の第1次大極殿に次いで3番目の大きさです。

南側正面には朱塗りの美しい柱が10本立っています。東側側面には7本立っています。柱の間の数はそれぞれ1つ減るので、建築専門用語では桁行9間、梁行6間と言うそうです。2階建てのように見えますが、下の方の屋根は裳階とのことで、単層の建物です。高さは、普通のビルの感覚で言えば1階3m換算で7階建てくらいでしょう。屋根の上には金色の鴟尾(しび)が秋の陽にきらきらと輝いて、再建完成を祝っているようでした。

中金堂というあまり聞き慣れない堂の名称ですが、これは寺の伽藍配置で金堂が3つあったことから来ています。

もともとは、南大門から北に向かって入っていくと、正面に中金堂があり、右側(東側)に東金堂、左側(西側)に西金堂がありました。

興福寺の伽藍復興計画は「天平の文化空間の再構成」を目指すというものですが、中金堂の再建完成により、その思いは実現に一歩近づいたと言えるでしょう。

中金堂から再建工事の仕切り柵や資材越しに五重塔や東金堂を眺めた時、そう感じました。すべての伽藍復興がなされた時、どんな空間が肌で感じられるのか楽しみです。

②中金堂の内部

中金堂には修理された釈迦如来坐像が本尊として安置されていました。真新しい金箔が目に眩しいです。坐像の唇の紅も強く、仏教が日本へ伝わってきたときはこういう異国の感じがするものだったのだろうと思いました。

一方、中金堂に安置された他の仏像は修理されていず、以前の古色蒼然たるものですから、現在は堂内でちょっとアンバランス感があります。時代と共に両方の仏像は馴染んでくるでしょう。

内部の柱の1本には法相宗の祖師の絵が描かれています。これは私のこのホームページでも2017年7月7日に「再建進む興福寺の中金堂と法相柱の柱絵」という記事で紹介したことのある法相柱です。1年前には平面の絵として観たものが、今は柱の周囲を覆っているのです。

柱絵を観てオヤッと思ったことがありました。それは法相の教えを伝える祖師たちが、古い順に柱の下から上へ絵が張り付けられていることです。

祖師の祖師たる先輩が下の方で、その後の人が上とはどういうことなのだろうか、と疑問に感じました。

しかし直ぐに、先人たちの苦労の上に次々と教えが引き継がれてきたことを表しているのかもしれないと思いました。

今後機会を見つけて正しい理由を調べてみる積りです。

写真
興福寺の再建された中金堂
奈良の大きな木造建築
興福寺の伽藍配置
再建中金堂から五重塔と東金堂を見る