●仏教の概略歴史(成立期)の重要点

まず始めに、仏教の概略歴史(成立期)のポイント、重要な点を箇条書きにしてみます。

① 一般に仏様と呼ばれることが多い釈迦は、名前がゴータマ・シッダルタという歴史上実在した人物です。

② 仏教の経典、いわゆる「お経」は釈迦が自分で書いたものではなく、釈迦が亡くなった後で弟子たちが「私は釈迦がこう説いていたのを聞いた」ということを話し合って、文書にまとめたものです。

③ 成立期の仏教は、原始仏教⇒上座部仏教(小乗仏教)⇒大乗仏教と変遷してきました。

・原始仏教・・・・・釈迦が説いたのとほぼ同じ内容と言われる教え。

・上座部仏教・・・釈迦滅後、自己救済にのみ注力し大衆救済を後回しにした教え。

・大乗仏教・・・上座部仏教では釈迦の基本思想である大衆救済が出来ないと述べ、大衆救済を復活発展させた教え。

④ お経は、上記の原始仏教、上座部仏教、大乗仏教の各段階で作られたもの、その後に中国その他で作られたものなど、色々なものが有ります。

●仏教の概略歴史(成立期)を見てみる

・釈迦は紀元前463年に誕生し、紀元前383年に80歳で没しています。

・釈迦滅後すぐに第一回結集が行われます。

結集とは経典作成会議で、釈迦の弟子たちが集まって協議して経典を作っていきました。

・結集は釈迦が没してから約100年後に第二回が、約130年後に第三回が行われます。

死後100年以上も経ってから「釈迦の教えはこうだったと聞いた」、「釈迦の教えはこうだったに違いない」という話し合いが行われ経典が作られていったのです。

・そしてほぼ同時期に小乗仏教教団がいくつもの派に分かれていきます。

ある派は寺や塔を建てること、多くの寄進をすることを推奨するようになり、民衆救済から掛け離れていきます。

・そのような小乗仏教の状態を批判し、民衆救済に注力する大乗仏教運動が紀元前100年頃に興ります。

・約200年後の紀元100年頃に仏教は中国に伝わります。

中国には上座部仏教(小乗仏教)、大乗仏教の両方が伝わるのですが、民衆救済の考えから大乗仏教が受け入れられ、上座部仏教は広まりませんでした。

・そしてその400年後の紀元500年過ぎに、中国や半島三国(百済、新羅、高句麗)を経由して日本に仏教が伝来します。

中国で広まった大乗仏教のみが伝わってきました。

●仏教の概略歴史(日本)の重要点

ここでも仏教の概略歴史(日本)のポイント、重要な点を箇条書きにしてみます。

① 仏教が日本へ伝わった飛鳥時代には、聖徳太子が仏教の思想を広めようとしましたが、それは定着せず、仏教は主に国家鎮護のために活用されました。

② 江戸時代にはキリスト教禁止の関係で寺が統治機構の末端を担うようになり、多くの寺は民衆に寄り添ったり、教えを広めたりすることをほとんどしなくなりました。

③ 昭和の太平洋戦争後は、無縁社会化で少なからずの寺の存続が危ぶまれる状態になってきました。

そのため今後の寺のあり方が模索され始めています。

●仏教の概略歴史(日本)を見てみる

・飛鳥時代に仏教が伝来します。

聖徳太子は維摩経・勝鬘経・法華経の3つの経典について講義を行なったり、解説書(義疏)を書いたりして、仏教の考えを広めようとしました。

・奈良・平安時代の仏教は、時の政府によって主に国家鎮護の為のものと位置づけられ活用されました。

・鎌倉時代には法然・親鸞・日蓮などによって仏教が民衆に広まっていきました。

しかし仏教の思想が深く広く伝わる迄には行きませんでした。

・江戸時代にはキリスト教禁止の関係で「寺請制度」が実施されます。

それぞれの家が檀家として寺に登録され、寺が統治機構の末端の役割を果たすようになります。

その結果、寺の経営基盤が強化され、多くの寺は布教活動に熱心に取り組まなくなりました。

・明治時代の初期には「神仏分離令」が引き金になって、それまでの寺に対しての民衆の憤懣が爆発し、廃仏毀釈が行われました。

・昭和時代の太平洋戦争後は家制度の崩壊・変化、人口の都市移動などの無縁社会化で寺と家の関係は弱まり、存続が危ぶまれる寺が増えてきました。

そのため、寺はどのようにして存続し発展して行けば良いのか模索が始まっています。

●仏教の概略歴史から言えること

仏教の概略歴史(成立期および日本で歴史)から次のことが言えると私は思います。

① 仏教経典は時代や場所によって、新たに書かれたり、内容が変わって行ったり、尊重されるものが変化したり、してきています。

金科玉条のように墨守すべきものではないのです。

② 日本では仏教がどのようなことを説いているかを、人々に易しく伝え広めるということをほとんどしてきませんでした。

③ 寺のあり方が模索されている現在、現代の日本人が理解・納得できる仏教の解説や新たな解釈・発展、時代に合致した考えの提示が必要でしょう。

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