鑑真和上廟所の玉垣の詩

唐招提寺にある鑑真和上の廟所の玉垣には、中国仏教協会会長の趙樸初さんの詠んだ詩が刻まれています。詩は、鑑真和上坐像が中国へ里帰りし、揚州や北京を巡って展覧会が行われたた時のことを歌ったもので、題は『巡展礼讃』です。

刻印されている文字は趙樸初さん自らのもので、元になった書は御影堂の一室に掛け軸となって飾られています。

詩の原文

本『迦陵頻伽 奈良に誓う』では詩の前半の部分しか書き下し文を紹介していませんでしたので、ここに改めて原文と書き下し文の全文を掲載いたします。鑑真和上の廟所を参拝する時にコピーを持参して、刻印された詩を読んでいただければ嬉しいです。

(前半部分)

「像立如人在。

喜豪情、帰来万里、浮天過海。

千載一時之盛挙、更是一時千載。

添不尽恩情代々。

還復大明名月旧、共招提両岸騰光彩。

兄與弟、倍相愛。」

(後半部分)

「番番往事回思再。

歴艱難、舎身為法、初心不改。

民族脊梁非夸語、魯迅由衷感慨。

試膽望、是何意態。

堅定安詳、仁且勇、信千廻百折能無碍。

仰遺徳、迎風拝。」

前半部分と後半部分を対比して見ると、字数や末尾の韻が合っていることがよく分かると思います。

詩の書き下し文

書き下し文は以下の通りです。

ぞうつことひとるがごとし。

よろこぶ、ごうじょうかえきたること万里ばんりてんかびうみよぎるを。

千載せんざい一時いちじ盛挙せいきょさら一時いちじ千載せんざいなり。

うるに恩情おんじょう代々だいだいきず。

かえりて大明だいめい明月めいげつきゅうふくし、招提しょうだいともりょうがん光彩こうさいあがる。

あにおとうとと、ばいして相愛そうあいす。

番番ばんばん往事おうじ回思かいしすればふたたび。

艱難かんなんて、つることほうためにし、初心しょしんあらためず。

”民族みんぞく脊梁せきりょう”は夸語こごあらず、魯迅ろじんこころより感慨かんがいす。

こころみに膽望せんぼうす、なん意態いたいぞ。

堅定安詳けんていあんしょう仁且じんかゆうまこと千廻百折せんかいひゃくせつするも碍無がいなし

遺徳いとくあおぎ、かぜむかえてはいす。」

(書き下し文は遠藤證圓著『風月同天』による)

詩の意味

難しい漢字に触れることが少ない私には、書き下し文ですら自信を持って意味を理解することができません。しかし、多少の間違いがあっても構わないという気持ちで、現代の優しい言葉で詩の意味を書くことに挑戦してみました。おかしいところをご指摘いただき、正しい理解を教えていただけますと有難いです。なお、前述の遠藤證圓著『風月同天』を参考にして解釈しました。

「和上像は、和上が実際にいらっしゃるようだ。

とても嬉しい。素晴らしい方が空を飛び海を渡り、万里を越えて帰って来てくださった。

和上の里帰りという千年ぶりのできごとは、中日の友好を深め、さらに今後の千年に影響を及ぼすだろう。

人々の感謝の気持ちは、世代を経て尽きることなく、ますます増えている。

和上が里帰りされたのを機に、寺はもとの大明寺という名前に戻り、唐招提寺と共に、海の両岸にて光り輝いている。

兄弟寺院は、ますますお互いを思う気持ちを深めている。

過去にあったいろいろの事に思い巡らせば、再び胸が熱くなる。

和上は大変な苦労をし、仏法の為に我が身を捨てて、初志を貫かれた。

“民族の精神的支柱”は大げさな言葉ではない。魯迅は心からそう思ったのだ。

試しに、この言葉がどんな気持ちで言われたのか、勇気を持って考えてみた。

意志が堅く、定まっていて、安らかで、行き届いている。人の道に合致し、かつ勇気がある。そして本当に千回遠回りし、百回挫折しても障害とせず、乗り越えていく精神、ということだろう。

和上の徳を尊敬し、和上のもたらして下さった影響に接して礼拝をする。」